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茨城県土浦市荒川沖DO!!SPE会のブログ

 本会は、自分達が生まれ育った荒川沖の伝統と歴史などを継承し、地域の発展に貢献し、暮らしやすい街を創造するために、元気に楽しく活動することを目的としています。
2007/11«2007/12 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 »2008/01
前の院稲荷と奥の院稲荷
     

6号国道をまたいでこんなものがっ!?

近隣の方ならば多分、荒川沖保育所前の支所には行かれた事はあると思います。
そして、そこに景色と化した鳥居があるのもなんとなくご存知かと...。

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支所にある『前の院稲荷』

これだけかと思いきや、道路に戻って、6号国道を渡った方を見るとナントそこにも似たような鳥居が...。

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6号国道を渡った所にある『奥の院稲荷』

あるある探検隊の調査結果

稲荷神社はウガノミタマノ神が祀られているが、この両社とも人格神で、前の 院が小松原庄左衛門、奥の院が小松原惣左衛門の霊魂を祀っている。

今から、約200年前になる天明3年(1783年)から天明7年にかけて、日本は異常気象による冷害が続き、全国的な大飢饉に見舞われた。荒川沖の牛久藩領でも例外ではなかった。飢えにあえぐ領民を助けるため、藩役人の小松原惣左衛門とその子庄左衛門は、藩主に嘆願して、年貢を免除、穀倉の救済米を放出した。さらに荒地開墾や冷害に強い作物などを奨励したのである。住民は惣左衛門父子の遺徳を偲んで、祠を建てて宿場繁栄の鎮守として、子々孫々に伝えているのである。

この両稲荷の森は、6,70年前までは、境内の一本一草盗取、盗伐すると神罰があると信じられて、欝蒼と茂っていたが、昭和23年境内に南支所が設けられ昭和27年には荒川沖保育所の用地に使用するようになって以来、当時の面影は消えている。

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支所の駐車場にチョコンと立っているこの石は、稲荷神社とこの石を百回往復して願いをかなえるという『お百度石』よく見ると、正一位稲荷御百度と刻まれている。

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この木は、『奥の院稲荷のしいの木』で平成12年11月3日土浦市市制施行60周年記念「ふるさと土浦自慢百選」に認定されている。

地図




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荒川沖の今昔
     
"荒川沖"名前の由来

荒川沖は、阿見町荒川本郷から分かれた集落で、荒川本郷から遠くに見えるところから“荒川の沖”(沖:遠いところの意味)と言われ、水戸街道の歴史と共に歩んで来たところである。

水戸街道と共に栄えた庶民の宿場

 もともと水戸街道は、鎌倉街道の脇街道として、水戸道中とか江戸往還などと言われる細い道が通っていたが、徳川家康が江戸幕府開設早々の慶長九年(1604)7月から同14年12月にかけて、直轄工事でまっすぐに改修したものである。

 荒川沖と牛久間の改修については、牛久藩主山口重政がその任に当たり、完成後慶長15年11月荒川道取締りのために、領内の信田郡荒川村(阿見町荒川本郷)の有力農民7戸を選んで、ここに移転させ、藩の役人の下で街道取締りに当らせた。そして街道用務の増大に伴って、領民を張りつけた。

寛永8年(1631年)の記録では、宿戸数は40戸になって、街道の宿駅村落としての形態が形成されたという。

荒川宿はかくして、その名を正式名称としたが、当時の書付をみると、沖村、荒川村沖荒川村などと書かれており、一般的には荒川宿で通用していたのである。
その荒川宿は、いわゆる殿様が宿泊する陣屋宿場でなく、牛久陣屋宿場と中村陣屋宿場の中間にあたる「継立宿場」としてもっぱら庶民の宿場であった。

発展してゆく宿場

荒川本郷から移転した農民は初め、開拓農耕のかたわら、公的交通の用務に従事していたが、往還の増加に対応して、商いにも精をだすようになり、旅籠や灯油、灯心を油屋、そば屋などの店を開く者も多くなり、宿場らしい雰囲気をつくっていった。

ところで荒川宿の継立問屋は、代々名主の川村八宗治家が継いでいたが、その継立区域は、上りは牛久本陣までの一里三十三町、下りは中村宿二十四町までの間であった。
往還は公的な場合は馬とか籠であったから、宿駅の問屋では、乗馬10頭とか籠3挺、それに荷担ぎ人足25人というように、常時備えておかなければならなかった。

文政5年(1822年)の記録でみると、荒川宿を通った諸大名は、津軽、松前、南部、仙台、秋田、水戸、土浦藩など22藩におよんでいるが、特に関東の大名は、2月と8月の半年交代が例であったから、問屋の仕事は他の街道に比べて忙しく、且つ気遣いが多かったと言われている。

また、街道宿には、旅籠や女郎屋がつきものだった。藩でもこれを半ば公然と認めていた。だから荒川宿の夜は軒行灯の灯色を映らせて、遊女屋から流れる三味線の音や酒盛りのざれ唄が、そこかしこに聞こえて「女なくして何の道中かなし」といった、宿場独特の情緒で夜が明けたという。

一方、近辺で農業を専業とする者も、農業の合間には問屋の荷担ぎ人足や宿場雑務に雇われ賃金を得たので、他村に比べて経済的に恵まれていた。半面宿場特有の女と酒、賭博に身を持ち崩し、先祖伝来の田畑を失う者もいたという。
宿通り(荒川沖派出所から西一丁目)の佐野屋、二六屋、荒井屋、おおぎ屋
松屋、岡本屋、鶴屋などの屋号は、そうした往時の繁昌した宿場商店の名残りである。

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鶴もと

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佐野屋

参考資料  「土浦町内ものがたり 本堂 清著」(常陽新聞新社発行)
                   中荒川沖  鶴町利雄氏まとめ





チームカルチャー
     
歴史の探求→発展!?

日本全国、いろいろな街がどんどん先進化していってます。整備された交通の便、街の外観、何でも買える大型マーケットなど...。
もちろん、我らが荒川沖も先進化するに越したことはないと思います。

でも、ただ『右に習え』の先進化はどこの街も似たようなものになってしまうのでは...。

昭和初期の頃、荒川沖はつくば、牛久、阿見などの人達が買い物に来たり、映画を見に来たり!?していたそうです。今では当たり前の事も当時は荒川沖に来なくては買えない、楽しめないという斬新な発想な上、街全体をそんな形にするのは相当な労力だったと思います。

そんな当時の偉人達の歴史や、更にその前の時代からある史跡、当時の習慣など、荒川沖の歴史の中の魅力を探すのが、中身のある発展の第一歩だと信じています。

チームカルチャー

チームカルチャーは、『荒川沖の伝統と文化を継承し、暮らしやすい街を創造する』という理念をもとに活動しています。今後もご期待下さい!!

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奥の院稲荷(詳しくは後ほど)


チームボランティア
     
安全・安心・楽しい街づくり

茨城県内においての犯罪は、昭和49年~平成14年にかけて約3倍に増えているそうです。

その原因として挙げられるのが、
①核家族と離婚等の増加による母子家庭が増えている。
②村社会の組織形態の崩壊
③不法滞在外国人の急増
④長期化している経済不況
⑤国際テロの増加
だそうです。

その犯罪のなかでも最も数字を伸ばしているのが、ひったくり、車上狙い、空巣、性犯罪のような身近な犯罪だそうです。

『安全・安心・楽しい街づくり』をモットーとしている荒川沖DO!!SPE会としても、これらを改善できたらと創設当時からチームボランティアを結成して、防犯パトロールを続けています。

DOパト行列
荒川沖DO!!パトロール

吉田さん
チームボランティアリーダー吉田功氏

ちなみに...。

この会のボランティアがカウントされているかは、定かではないですけど、
平成16年の調べでは、土浦市内、4団体120名のボランティアが活動して、平成14年で、5千900件あった犯罪件数が、平成17年には4千600件になったそうです。(もちろん、警察の方々のご尽力のおかげでもありますが..。)

※データは、土浦南ロータリークラブ週報 土浦警察署長 石井孝氏の卓話より引用。


チームイベント
     
 チームイベント 

今、子供達を取り巻く環境のなかで、いろいろな事件が発生しています。
『知らないおじちゃんについて行ってはだめよ!』と言っても、核家族化が進む現代において、みんなが知らない人であってむしろ、犯罪者にとっては格好の隠れ蓑になってしまうと言われています。

地域の目!!

荒川沖DO!!SPE会、チームイベントは、子供達を取り巻く環境を改善するためには、地域の目という地域力が必要と考えています。
ただ、地域の目は、子供たちにとっては、時にはうるさかったり、わずらわしかったりします。そこで、子供達の思い出に残る楽しい企画をつくり、それを通して地域の人とのつながりができれば、少しは変わっていくのではないかと思っています。

出店2
第3回DO!!すっぺまつり

根本さん
チームイベントリーダー根本裕氏
安全・安心・楽しい街づくり!!
     
はじめまして。荒川沖DO!!SPE会です!!

本会は、自分たちが生まれ育った荒川沖の伝統と歴史などを継承し、地域の発展に貢献しようと、2004年11月に結成されました。

ピカドゥー君
荒川沖DO!!SPE会のマスコットキャラクター『ピカドゥー君』




『安全、安心、楽しい街づくり』
をモットーとして、これまでも多くの方々のご協力を頂きながら、いろいろな企画、実施してきました。


DOパト行列
ゴミ0、犯罪0の荒川沖を目指しての『荒川沖DO!!パトロール』


DOまつり
楽しい街づくりに『荒川沖DO!!すっぺまつり』


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荒川沖の歴史の探求に『荒川沖DO!!あるある探検隊』

これからもいろいろ企画していきますので、ご期待下さい。


どんなメンバーでやってるの?

荒川沖周辺に生活を基盤としている元気な若者。そして何よりも本会の目的に強く賛同する人達です。

現在は、30歳代~50歳代の34人で、構成は顧問、リーダーが一名づつ、サブリーダー3名、チームカルチャー10名、チームボランティア10名、チームイベント9名で、各部会で企画、立案して、全員で実施するという形で行っています。

顧問
荒川沖DO!!SPE会顧問 篠塚昌毅氏。

リーダー
荒川沖DO!!SPE会リーダー 塚原良昭氏。

『僕も荒川沖を楽しい街にしたい!!』と、いう方は是非、イベントでお声をかけてください!!




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